スラムダンクの安西先生といえば「白髪仏(ホワイトヘアードブッダ)」と呼ばれるぐらい、懐の大きくて優しい男性ですよね。
でも、かつては「白髪鬼(ホワイトヘアードデビル)」と呼ばれるほど、かなり怖い人物として知られていたよ。
でも、なぜスラムダンクの安西先生が優しくなったのか・・・
理由を忘れてしまっている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
実は、安西先生が優しくなった理由には安西先生の過去が関係しているよ。
また、その過去は安西先生が湘北高校のバスケット部の監督になった経緯にも繋がると考えられます。
そこで、この記事では「安西先生なぜ優しくなった?ヤクザのように怖い過去に何があったの?」と題して、
- 安西先生の過去に何があり、なぜ優しくなったのか?
- 安西先生が湘北高校のバスケット部監督になった経緯とは?
をお伝えします!
この記事が、なぜ安西先生がヤクザのように怖い白髪鬼から優しさの塊の白髪仏に変わったのか理由が知りたい方の参考になれば嬉しいです。
目次
安西先生のヤクザのように怖い過去を紹介!
スラムダンクの安西先生といえば、”ホッホッホッ”と言いながら仏のような優しさを見せてくれる先生ですよね。
でも、昔は恐れられていたよ。
安西先生の過去に何があったか気になりますよね!
さっそくお伝えします。
安西先生の過去に何があった?
アフター ←→ ビフォー
— GGG3(元gagagami3344) (@Gagagami3344G) January 24, 2020
安西先生が白髪鬼だったということは初登場時から語られてたけど当時はヤクザタイプの鬼コーチだったとは思わなかったな💧#スラムダンク#TVK pic.twitter.com/ViSGrvni1y
安西先生(本名:安西光義)はかつては名門大学のバスケット部のコーチをしていました。
この時の安西先生は”ヤクザ”とも言われるほど怖い人だったんです。
教え子たちからも白髪鬼と恐れられていたよ。
そんな安西先生が一際バスケットの才能を買ってた人物がいました。
その人物とは谷沢龍二だよ。
谷沢は2mを超える長身で、安西先生も彼の才能を買っていました。
そして、安西先生は”監督生活の最後に、谷沢を日本一の選手に育て上げるつもり”で、谷沢を厳しく指導します。
というのも谷沢は才能はあったもののバスケットの基礎を疎かにするクセがあり、安西先生は谷沢に基礎が大事と基礎練ばかりさせていたんです。
安西先生は谷沢を育て上げるためにあえて厳しく指導していたのですが・・・
谷沢に安西先生の思いは届かなかったよ・・・
結果的に谷沢は安西先生やチームメイトに何も告げず、渡米。
しかし、渡米先で谷沢は挫折します。
谷沢龍二は渡米後、アメリカの学校のバスケット部に入りますが、監督もチームメイトもバスケットに対してはいい加減でした。
そして、谷沢龍二は英語もままならず、次第にチームメイトからも孤立。
留学して1年後には、谷沢龍二は安西先生の真意(基礎が大事)に気づきます。
しかし、谷沢は黙って日本を飛び出してきた手前、安西先生の元に戻ることもできませんでした。
こうして、留学して2年で谷沢龍二はバスケット界から消えちゃったよ・・・。
そして、渡米から5年後には薬物に手を染め、暴走事故を起こして亡くなります。
24歳の若さでした。
安西先生は新聞で谷沢龍二の死を知ります。
安西先生は谷沢の死にショックを受けて、バスケットのコーチを辞めてしまったよ。
安西先生なぜ優しくなった?
安西先生は元々はヤクザのように怖く、教え子にも厳しく接するような監督だったことをお伝えしました。
そんな監督人生だったけど、1人の教え子の死に直面していたんだね。
ここからは、なぜ安西先生が優しくなったのか、もう少し理由を深掘りしていこうと思います。
安西先生が優しくなった理由とは?
メンタリティがスラムダンクの谷沢に似てるので、2・3年で弊社を飛び出しそうな気してきた pic.twitter.com/i5QIXTPlgB
— みみ (@benkyoaccountda) February 1, 2022
安西先生は谷沢龍二の死に対し、自分のせいだと感じたのではないでしょうか?
谷沢龍二に厳しく指導したせいですれ違いが起き、結果的に自分の元から谷沢龍二がいなくなってしまいました。
安西先生はこう感じたのだと思います。
”あの時もっと優しく指導していれば”
”あの時もっと谷沢に寄り添って、自分の気持ちを伝えていれば”
まさに”後悔先に立たず”だよね。
目にかけていた教え子だったからこそ厳しく接したのに、
結局その教え子が亡くなる結末なんて・・・
悲しすぎる!
安西先生は厳しくしすぎると人は反発を覚えると身をもって痛感したのではないでしょうか?
安西先生が優しくなった理由は、谷沢龍二の死をきっかけに厳しく指導しても良いことはないと悟ったからだと思う!
安西先生が湘北高校バスケ部監督になった経緯とは?
安西先生が優しくなった理由は、名門大学のバスケット部の監督をしていた時の教え子(谷沢龍二)の死がきっかけだとお伝えしました。
そして、安西先生は谷沢の死をきっかけに、バスケット界から退きます。
でも、安西先生は今は湘北高校でバスケを教えているよね?
なぜ、再び湘北高校でバスケット部の監督となることになったのでしょうか?
その経緯や理由をお伝えします!
安西先生が湘北高校バスケット部監督になった経緯や理由は?
これは安西先生の見てるか谷沢状態ですわ、、、
— ケイスケアライ|バッシュ以外ミニマリスト (@K_SUKE_CHAN) April 19, 2021
2人も同時にだ、、、😭 pic.twitter.com/pCkuEX13dk
安西先生は谷沢龍二の死をきっかけにすっかりバスケットの指導への熱も下がり、バスケット界を去っていました。
その後、湘北高校バスケ部の監督として、またバスケット界に戻っているわけですが・・・
公式にはどこにも、なぜ復帰することになったのかについて書かれていません。
ここからは推測だよ。
おそらくですが、バスケット界から離れていた安西先生に湘北高校からお呼びがかかったのではないかと思います。
湘北高校は神奈川県立高校。
高いお金を出して監督を雇う余裕はないよね。
それでも高校の教員の負担を減らすために外部コーチを雇うことはあります。
安西先生は湘北高校という無名の学校なら、”お飾りの監督”的な立場でいれると思ったのではないでしょうか?
その証拠に、桜木花道がバスケット部に入った当時、安西先生はほとんど部活動に顔を見せていなかったよね。
とはいえ、安西先生は三井寿の中学時代に「あきらめたらそこで試合終了だよ。」という名台詞を残すぐらい存在感のある監督であったのは間違いないですが・・・
それでも名門大学のバスケットコーチ時代ほどはバスケットの指導に熱を入れてはいなかったのかもしれません。
しかし、そんなすっかり棘がとれて優しくなった安西先生の前に桜木花道と流川楓が登場!
陵南高校との練習試合で桜木花道と流川楓の活躍を見た安西先生は・・・
再び、バスケットの指導への情熱を取り戻したんだと思う!
白髪仏となった安西先生は決して口数は多くありません。
しかし、挫けそうな時にほしい言葉をくれる優しい監督だからこそ、湘北高校の問題児たちも安西先生に絶対の信頼を置いているのが伝わりますよね!
安西先生の現在は顎をタプタプされても怒らないほど優しい!
この花道が安西先生タプタプしてるシーンが好きすぎて夢に出てきた pic.twitter.com/sSasox9slj
— Daidara だいだら (@Daidara_BS) July 23, 2021
安西先生は今ではすっかりホワイトヘアードブッタ(白髪仏)となり、タプタプした顎がかわいいですよね!
そんな安西先生の顎を桜木花道がタプタプと触っているシーンがあります。
そんな桜木花道にゴリや三井寿、宮城リョータが怒っていましたが、安西先生は一切怒りませんでした。
現在の安西先生はそれぐらい優しいということ!
安西先生は谷沢以上の逸材の桜木花道の成長が楽しみ。
顎を触られるぐらい全然いいよって思ってそう(笑)
別の記事で、安西先生の歳など詳しく紹介してるよ。
気になる人は読んでみてね。
>>安西先生の歳や担当科目は?
安西先生なぜ優しくなった?のまとめ
この記事では「安西先生なぜ優しくなった?ヤクザのように怖い過去に何があったの?」と題して、
- スラムダンクの安西先生の過去に何があり、なぜ優しくなったのか?
- スラムダンクの安西先生が湘北高校バスケット部監督になった経緯は?
をお伝えしました。
「スラムダンク」の安西先生が優しくなった理由は、過去の大学バスケットコーチ時代に谷沢龍二という逸材を亡くしたからです。
安西先生は、自分の厳しい指導が谷沢の将来を奪ってしまったと後悔したんだと思う。
現在の安西先生はすっかり優しくなり、顎をタプタプされても怒らない好々爺になりました!
この記事が、なぜ安西先生が優しくなったのか知りたい方の参考になれば嬉しいです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。